【レポート】マインドフルネスとコンパッション Erik van den Brink博士インタビュー

オランダの精神科医でMindfulness-Based Compassionate Livingの開発者であるErik van den Brink博士へのインタビューです。
日時:2020年7月4日
場所:オンライン
インタビュアー:井上清子

Par1

井上:みなさんこんにちは。今日はMBCL(Mindfulness-Based Compassionate Living)の開発者であるErik先生のお話をお聞きします。Erik先生のバックグランドとマインドフルネスを始めたきっかけ、MBCLを開発した経緯について教えて下さい。

Erik:それでは始めましょう。私はイギリスで精神科医としてのトレーニングを受けました。イギリスまで行ったのは、当時のオランダではトレーニングのポストを得るのは非常に難しく、また、私は冒険心がありましたので、妻と一緒にイギリスに行って、精神医学やヘルスケアついて学ぶことにしました。そして、結局、予定よりも長く滞在することになり、7〜8年イギリスにいました。この間、すでに瞑想に興味を持っていたのですが、そのことを他の人と話すことはありませんでした。瞑想は自分自身の心の健康にとってとても大事なものでした。そういうわけで、瞑想について話題になることはほとんどありませんでした。1990年代のことです。マインドフルネスという言葉も耳にすることはありませんでした。

私達は1995年にオランダに帰国しました。そこで私は初めて、より構造化されている、ヴィッパーサナや禅で教えられているような、瞑想に興味を持つようになりました。先生についたということではないのですが、様々な伝統の知恵から生じる瞑想を学ぶことに興味を持つようになったのです。それでも、その時は、まだ私の仕事の中ではほとんど生かされていませんでした。というのも、同僚たちは、瞑想というものをあまり信用していなかったので、私としても瞑想を他の人とシェアすることを少し躊躇していました。オランダに帰ってからの最初の数年は、瞑想を仕事の中に活かしたり、それについて話をしたりすることもありませんでした。ようやく2000年代に入ってから、イギリスのMark Williams、John Teasdaleとカナダの心理学者であるZindel Segalが、瞑想をベースにしたプログラムを開発したことを知りました。それがマインドフルネス認知療法(Mindfulness Based Cognitive Therapy:MBCT)です。彼らは、私にMBCTをオランダで紹介していいですよ、と言いました。瞑想を世俗的な方法でヘルスケアの世界に持ち込む道が見つかったことは、とても嬉しいことでした。瞑想に科学的な根拠が与えられ、私にとっては伝えるための言葉となり、マインドフルネスを同僚たちに説明して理解してもらうことができました。それは、宗教的な言語ではなく、心理学や医学の確固たる基礎に拠るものでした。

そのころ、私は一般的なメンタルヘルスの手法で、主に外来患者の治療にあたっていました。マインドフルネスは、患者自身の力を利用する方法を見出したいという私の思いを満たしてくれました。

私達、心理療法のセラピストはとても忙しく、多くの人が受診の順番待ちをしている状態にあります。そのため、グループセラピーのように複数の人が一度に受けられるトレーニングがあるとよいと思っていたのですが、それはSegal、Williams、Teasdateたちがこれを開発した理由でもあったのです 。
これによって、人々に、自分自身のセラピストになるための方法を提供することができるようになりました。人々は自らのセラピストになることにより、自らの内側を見て、苦しみに対応する方法を見つけ出します。マインドフルネスは、人々に自らのセラピストになる方法を教えることにおいて、私達の助けになりました。

私達のクリニックにおいて、MBCTは、うつ患者に対してのみ有効であったわけではありませんでした。それが開発者である3人が意図していたことだったのですが、実際には、様々な種類の問題にとても有効であることがわかりました。不安、パーソナリティの問題、不健康さにつながる根深い習慣といった症状に対してです。そこで様々な症状を抱えるひとを混ぜたグループで試してみることにしました。一方で、私自身はMBSR(Mindfulness-Based Stress Reduction:マインドフルネスストレス低減法)も含めてより多くのトレーニングを積みました。私はメンタルヘルスケアで活用できそうな様々なアプローチを探し求めていました。

私達は、様々な患者を混ぜたグループに対して、MBSRやMBCTを組み合わせた8週間のプログラムを行いました。それはうまくいき、とても興味深いものでした。また、患者に対して行うのと並行して、ヘルスケアに従事しているスタッフに対してもトレーニングを行いました。そのうちに、瞑想とマインドフルネスの講師であるFrits Kosterと一緒に仕事をするようになりました。トレーニングは多くの人にとても効果があることがわかりましたが、同時に、多くの人から「これだけではまだ十分ではない」と言われました。そこで、私達は、継続して行えるトレーニングが必要であると考えました。特に、自分自身に対してkind(やさしく、親切)であることについてです。

通常、マインドフルネスのプログラムは、kindness(やさしさ、親切さ)が目に見えない形で含まれています。自らの体験に気づくだけでなく、その時にkindness(やさしさ、親切さ)とcompassion(コンパッション、いたわり)を伴って気づくのです。ところが、私達のクラスに参加していた人の多くにとって、これは簡単なことではありませんでした。おわかりになりますよね。大部分は文化の問題です。私達の社会では、人々は批判的な傾向があります。特に私達のクリニックに来る人たちは、一緒にkindness(やさしさ、親切さ)の練習を始めたとき、強い自己批判を示しました。多くの人が、拒絶反応を示しました。インパクトが大きかったのです。それは、長い間批判をしてきたあとで、突然、kindness(やさしさ、親切さ)を自分のなかにとり入れることだったのですから。

それで、compassion(コンパッション、いたわり)を中心としたフォローアップのトレーニングを設計しました。そこでは、kindness(やさしさ、親切さ)とcompassion(コンパッション、いたわり)を明確に扱うプログラムにしました。Fritsと私は様々な情報を集め始めました。Fritsは東洋の心理学に深い理解がありました。彼は以前、仏教の僧侶として、タイ、ミャンマーで6年間過ごした経験がありました。私は西洋の心理学が専門で、いわば、東洋と西洋の幸せな結婚のようなものでした。お互いに知見を持ち寄り、最終的にMindfulness Based compassionate Living (MBCL)というプログラムをつくりあげました。

井上:マインドフルネスとcompassion(コンパッション、いたわり)は両輪である、といわれることがありますが、それについて教えて下さい。

Erik:ご質問ありがとうございます。おっしゃったことはそのとおりです。つまり、その二つは不可分といえます。MBCLはフォローアップのコースとして開発されましたが、それは、compassion(コンパッション、いたわり)が基礎のコースに含まれていないということではありません。このことはMBSRにもMBCTにも当てはまります。表立って見えていないだけといっても良いでしょう。特にMBCTを教える人たちは、kindness(やさしさ、親切さ)の練習を目立たたせ過ぎないように注意してきました。というのも、先程も言いましたが、最初は拒絶反応が起こることがあるからです。kindness(やさしさ、親切さ)についてはゆっくりと取り入れていかなければなりません。MBCTにおいてはそのように伝えられます。講師は、慈悲の瞑想のように、はっきりと分かる形式で行うのでなく、教える際の態度の中で表現するように求められます。慈悲の瞑想というのは、優しい気持ちでの願いを自分や他者に向ける練習です。特に、受講者とその練習を行うと、彼ら/彼女らがとても自己批判をしていることがわかります。彼ら/彼女らはそれを受け入れることができないという感じです。防御反応が起きてしまいます。「どこかへ行ってくれ、『kindness(やさしさ、親切さ)』よ、私はあなたを受け入れることはできない」と。批判されることになれてしまっているので、批判は受けいれることができる一方、kindness(やさしさ、親切さ)を受け入れることは初めての体験になります。

MBSRにせよMBCTにせよ、全てのマインドフルネスのプログラムにおいて、どのような参加者に対して行うかということにもよります。もし、自己批判が強い傾向のある人達に対するプログラムの場合、まずは、評価を下さず自らの体験を観察する、ということを最初に練習するのが良いでしょう。もちろん、オープンでやさしい気づきを伴うようにして。そのことは、その時の体験が快であろうと不快であろうとありのままの状態にオープンに接するということの中にすでに含まれています。kindness(やさしさ、親切さ)はその中にあるのですが、よりはっきりと自らのkindness(やさしさ、親切さ)を自他へ向けます。

このように行います。「あなたが幸せでありますように、安全でありますように。」このように、よりはっきりと表現するのです。これを受け入れられない人に対しては、少しずつ、ゆっくりと行っていく必要があります。人々はkindness(やさしさ、親切さ)を受け入れることのできない感覚のほうに慣れていて、うまくkindness(やさしさ、親切さ)を受け入れることができません。この練習をやっていくと、自分に対する厳しさが徐々に和らいできます。氷を溶かすような感じです。

これに関して、よく使うたとえ話があります。雪の降る国でのことです。オランダでは冬に雪がたくさん降ることは減ってきましたが、それでも素手で雪だるまを作って、夢中になって指の感覚がなくなるまで遊ぶことがあります。とても冷たくて凍えてしまうほどまで遊びます。そうしてようやく心配になって家に入って、お湯やヒーターで手を温めます。このとき、どのように痛みが起きてくるか、その感覚がわかるでしょうか。自分自身の凍てついた部分に感情を込めてkindness(やさしさ、親切さ)を向けた時にこれと同じようなことが起こります。その凍てついた部分は、長い間kindness(やさしさ、親切さ)という暖かさを受け取っていなかった状態にあります。ですから、もし急に、大量にkindness(やさしさ、親切さ)を向けることを行うと、痛みが生じます。その暖かさが流れ込んでくることは悪いことではありません。このたとえ話の中で指が凍えてしまっていたように、もしあなたがその指を温めなければ、その指は取り返しのつかないダメージを負うことになります。しかし、知恵のあるお母さんやお父さんが、まずは水で手をならしなさい、と言ってくれて、ゆっくりと、ゆっくりと温めていくという手順を取ると、痛みはするものの、大分その痛みは和らぐでしょう。こうやって指が回復するように、感情的に凍えてしまっているところを温める場合、急ぎすぎてはいけません。しかし、温めましょう。ゆっくりと。氷が溶けるように。

マインドフルネスを練習する時は、ただ体験の中で生じていることを観察します。私達はすでにkindness(やさしさ、親切さ)の練習を行いました。マインドフルネスとkindness(やさしさ、親切さ)は不可分なものです。
自分自身に明確にkindness(やさしさ、親切さ)を向ける練習を行い、それと同時に、kindness(やさしさ、親切さ)を土台とした上で、生じる事柄を観察します。
副作用が起きた場合、それは練習がうまくいっていないということではなく、練習の一部なのです。判断をせずに観察します。最初はこのような反応がでますが、それに対してkindness(やさしさ、親切さ)を持って関わるようにします。

マインドフルネスとkindness(やさしさ、親切さ)は不可分です。まさにそのとおりです。ただし、私が8週間のプログラムを教えた後に、受講した人が、皆、練習を深めていけるというわけではありません。人生において8週間は長い時間とは言えません。そこに8週間増えてもあまり変わりませんよ、という人もいるかも知れません。しかし、16週間あればより多くのことを学ぶことができます。

Part2

井上:今お話の中にあった、自分自身のセラピストになる、ということについて教えて下さい。

Erik:先程言いましたように、実際に、いくつかの患者グループに対し、並行でクラスを行いました。そして、医療従事者にも同じような手順で行いました。私が考えるに、マインドフルネスベースの手法は、苦しみの裏側にある普遍的なメカニズムと、その理解を扱い、これらにkindに接することです。そして、自己批判したり、困難を避けたり、物事に執着したりすることによって苦しみを増すものでなく、苦しみへ別の関わり方をすることによる治癒の一環です。これは本当に、無常さや物事は常に移り変わっていくものである、ということについての洞察を得ることです。

やってみてわかったことは、患者に対して行う場合と、医療従事者に対して行う場合で、大きな差がないということです。医療従事者自身も自己批判をする傾向があるのです。彼らの多くは成績優秀者であり、自分の弱さを恥ずかしく思っています。新しいテクノロジーを取り入れることが難しいように、変わることは難しいことです。

そして、気づくことは、ある意味で、私達は不完全である、ということです。そして、このような不完全さは、進化の過程で私達に組み込まれたものです。 私はコンパッション・フォーカスト・セラピーを開発したPaul Gilbertの仕事を参考にしています。脳は、もともと、苦しむようにできているということです。そのようになっていること自体は私達の過ちではありません。ただ、そのことを理解した時点で、私達はどうするかを選ぶ責任が生じます。

どちらに進むかの選択肢です。健全に生きていく道か、そうでない道か。いずれにせよ、そのプロセスはこの理解についてのものであり、そして、それに対してコンパッションをもって接することです。

もっと最近のことで、Jon Kabat Zinnの話をご紹介しましょう。彼はMBSRを開発し、ヘルスケアの分野で世俗的なマインドフルネスプログラムを最初に始めた人と言って良いでしょう。その彼が、このように尋ねられました。「マインドフルネスとは何かを一言で言い表せますか」と。彼は、それに対し、「いえ、一言では言えませんが、二言であれば説明できます。それは『マインドフルネス』と『関係性(relationality)』です」と答えました。関係性とは、自らの体験に気づくことで、かつ、健全にその体験に関わることです。そして、グループで行うクラスを通じて私達が目にする変化は、その関係性についてのものです。

「ああ、これが、自分が観察しているもので、自分の自動反応なのか」と。 嫌いなものには向こうへ追いやり、好きなものにはしがみつこうとします。困難なことを避けたり、心地よいものに執着しようとしたりします。
しかし、これらの傾向の中に、苦しみの大部分が隠れています。というのは、嫌いなものを追い払おうとしても、実際には避けることができないからです。逆に、しがみつこうとしても、実際にはそれを掴むことはできず、それはどこかへ行ってしまいます。なぜなら物事は常に移り変わっていくからです。そのため、私達はもっと苦しむことになります。ですから、compassion(コンパッション、いたわり)は、自動反応における力みから生じる苦しみを、本当の意味で緩めることに役立ちます。そして、ただ反応するだけではなく、よりうまく対応できるようになり、健全さやcompassion(コンパッション、いたわり)をもって体験に関わることができるようになります。

うつを何度か経験した患者は、MBCTのプログラムでこのようなことに気づきます。「ああ、私の考えていることは思考に過ぎない。思考は事実ではないのだ。」しかし、自分自身がそれと一体になっていると強く信じているときは、それらの思考によって苦しむことになります。しかし、先程言ったように、浮かんでいることは単なる思考に過ぎず、心の中で生み出されたものに過ぎないものであり、自分は必死になって苦しみから逃れようとしているのだ、ということがわかれば、それによってただ苦しみを増やしているだけだということが分かり始めてきます。

それは、あらゆることが見通せるような瞬間です。そうすると、その思考に付き従うのか、思考は思考に過ぎないと見るのか、異なる選択肢の中から選ぶことができるようになります。また、compassion(コンパッション、いたわり)を伴うあり方で対応することができるようになります。少し付け加えると、MBCLのコースでは、この関係性を明示的に取り扱う練習を行います。私達の想像力を用いる練習です。心を観察することにとどまらず、穏やかさを伴って心に働きかけます。そうして、批判することから、自らを助けるように変わるのです。

たとえば、安全な場所がどういうイメージになるか探ります。どのようなイメージとして浮かんでくるか。心が生み出すイメージのままにさせます。「こういうイメージであるべきだ」とか「あんなふうであるべきだ」とか「どの練習のときも同じイメージであるべきだ」と決めつける必要はありません。ただ、ありのままにそこで浮かんでくるものを探索します。安全な場所にいることを想像し、それをどう受け取るかをみていくのです。

それから、compassion(コンパッション、いたわり)を感じる親しい人を想像します。動物でも、その他のものでも、想像上のものでも構いません。そういった自分自身にとって親しい存在を、自分がどう受け取り、接するかを、想像しながら眺めていきます。また、自分自身がcompassion(コンパッション、いたわり)に満ちていることを想像します。それは自分を騙しているということではなく、練習の一部です。ここでは、結果としてどのような状態になるかといったことにはこだわらず、自分の心がある形をとった時に何が起こるかの探索を行います。体を使ってヨガをやるときは、姿勢ごとに決まったアプローチがあり、そうして体に何が起きているかを見ていきます。これと同じように、心にある形を持たせることで、心で何が起きているかを探索するのです。そうすることで、洞察を得て、kindness(やさしさ、親切さ)とcompassion(コンパッション、いたわり)といったものがどのようなもので、それらをどのように受け止めたら良いのかがわかるようになっていきます。

MBSRでは慈悲の瞑想を行いますが、MBCLでは行いません。MBCLでは、コース全体にわたって、あらゆるところにその要素が織り込まれています。自分自身、自分を見守ってくれる人、好きでも嫌いでもない人、付き合うのが難しい人、こういった人々にやさしい気持ちを向けていき、コースを通じて全ての人、最後には生きとし生けるものにまでその気持を向けていきます。
ある意味で、関係性を深めていくことです。それは自分自身に対してだけでなく、世界中の生物全てに対してです。

井上:2020年は予想しなかったコロナパンデミックを経験しました。そのときに思いやりやマインドフルネスがどのように私達を助けてくれたでしょうか。

Erik:もちろん、それはとても大事な質問ですね。マインドフルネスやコンパッションがどのように毎日の生活に関わるか、特に、こういった予想できなかったことが起きた時に。ご覧の通り、多くの人にとって、まったく先の見えない事態に陥っていて、この先どうすればよいのかわからない状況にあります。ここオランダでも、多くのヨーロッパの国々と同じようにロックダウン状態にあります。部分的なロックダウンなので、お互いの距離を保てば外に散歩に行くことはできるのですが。このような状態では、これまでのような仕事の仕方ができず、ほとんどの人は、可能な場合は在宅で仕事をするか、仕事から離れざるを得ませんでした。

もちろん、医療関係者は、緊張感を強いられる中で仕事をしていました。なかでも、最前線で働く人達は、感染した患者のケアをし、重篤な患者をどのようにケアするかということに神経をすり減らしていました。おそらく、これは脅威を感じ、そこから離れたい、もしくはこの脅威をコントロールしたい、というモチベーションから生じたものです。 ニュースを見ると、毎日、入院者数や重症患者数、死亡者数などが流れてきていました。危険な状況にありました。一部の人はこの脅威を克服するために忙しく働き、また一部の人は何をすればいいのかわからず立ち尽くすばかりでした。いつもよりやれることが減って、ただ心配するしかできませんでした。ここでも、自動反応がより大きな苦しみを生むことがわかります。これまで体験したことのないことや、先行きが見えないことに対して、心配する時、より強く苦しみを感じます。

一方で、これらの事態に対して、より創造的に対応することもできます。マインドフルネス講師や、仏教などの瞑想指導者など、多くの人がオンラインで瞑想のセッションを行いました。私も、他のマインドフルネスの先生達と一緒に、毎日、オンラインの瞑想セッションを、医療従者向けに行いました。それらのセッションにはとても多くの人が出席して、とても興味深いものでした。同じことが様々な国で起きました。まさに世界中においてです。
その時、多くの人にとって必要だったことは、立ち止まって静かになり、お互いに分かち合って、一緒に座り、自分たちに何が起きているかを眺めることでした。そして、多くの人が、無償でそのようなセッションを提供していました。オンラインでの瞑想セッションです。

多くの人が、内省を始めました。これまでのライフスタイルの何が問題だったのだろうか、何を変えることができるだろうか、と。ここオランダで印象的だったのは、青空が広がり、飛行機の排ガスが消え、星空がとてもきれいになったことです。鳥の声も聞こえました。いつもなら車の音がしている場所です。ある意味でとてもストレスを感じる時期でしたが、同時に、新しいものが現れてくるときでもありました。こういう生活もあるのだと。そして、生活の中で本当に大切にすることは何なのだろうか、私達はどのように生きるべきなのだろうか、この人生で何を表現したいのか。そういったことを考えさせられる機会であり、ただ、暗く苦しいばかりではありませんでした。危機の時期ですが、新しい発見もありました。そして、より深く、compassion(コンパッション、いたわり)に目覚める機会にもなったかもしれません。

もっとお話したいこともありますが、これが、ご質問への回答の始まりの部分です。

このインタビューにお招きいただきありがとうございました。とても光栄に思います。私がこれまでここヨーロッパで行ってきたことを皆さんと共有できることはとても嬉しいことです。そして、日本の皆さんにも同じように分かち合えればと思っています。通訳もありがとうございました。私が話したことを全て日本語にするのはとても大変だっただろうと思います。ありがとうございました。

以上